IE9ピン留め
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平成24年元旦。
謹んで新春のご挨拶を申し上げます。

本年も倍旧のご指導、ご用命をお願い申し上げます。

                      鑑定師 麻亜樹
# by e-mars | 2012-01-01 01:33 | 日常の出来事
理想の年齢の重ね方。
俳優、児玉清氏が亡くなられた。

仕事柄、芸能界やマスコミ関係の方とお目にかかる機会も多いが、残念ながら氏とはお目にかかる機会には恵まれなかった。

小さい頃より、テレビの司会者としての印象が強かったけれど、勿論、様々なドラマでもお見かけしたという方は沢山おられるだろう。

自分から見ると氏は理想の年齢の重ね方をされているなぁという印象がとても強い。
女性は年齢を重ねても化粧やエステである程度、印象を変えることが可能だけれど、男はそうはいかない。
勿論、存じ上げる女優さんはそれこそお年を重ねてもマシントレーニングや食事制限など、見せる為の努力を怠らないのを知っているけれど、一般の方の場合はそこまでは徹底できないだろう。それでも女性にはいくつになっても化粧もエステもあって、男性に比べれば年齢の重ね方に長けている気がする。
だから、おばあちゃんは綺麗であってもおじいちゃんはちょっと汚くなっちゃったり、年齢以上に歳を重ねた印象の人が多くなるのはしょうがないのかもしれない。

が、氏の場合、いわゆる中年期より熟年、そして老齢の域にと年齢が進むにつれて、表情も雰囲気もそれこそ氏が醸し出すものがどんどん素敵になられていったのは凄いと思わずにいられない。
ちょっと日本の役者さんにはないタイプへと進まれた気がしてならない。

女性の場合でもそうだけれど、僕は若作りは見ていて痛いと思える。
ご本人は娘と姉妹みたいに服装とか髪型を整えて嬉々としていても、他人から見ればそれでも年齢は隠せないというのが本当だろう。
若い子と並べば、どうしたって同じ土俵じゃ分が悪いのは当たり前。本人がどんなに自信を持っていても、それは自己満足に思える。

が、その年齢だからこそ出せる美しさや綺麗さを出せる人は本当に素敵に思える。
日本は女優さんを除けば女性も男性もそういう発想の人は凄く少ない気がする。
若作りと若々しいのは違うのに。
そんな中での児玉清氏の年齢の重ね方はまさに理想的な年齢の重ね方であっと思えてならない。
この先、80代、90代と年齢を重ねられたらどんなだったろうと思うけれど…。

何歳になっても自分の引き出しを増やす努力をし続けることであの様な年齢が重ねられるなら、是非、そうありたいと思えてならない。

心よりご冥福をお祈りしたい。合掌。
# by e-mars | 2011-05-21 10:34 | TVの時間
強制して集金した義捐金でも尊いですか?
義援金出さなかった生徒の名前、黒板に貼り出す
読売新聞 5月20日(金)11時41分配信

義捐金と言うものは誠意とか自主的に奉じるものであって、強制されるものではないと僕は思います。
金額は些少であったようですが、であったとしても生徒の名前を張り出すと言うのは行き過ぎというかやりすぎではないかと思えてなりません。
皆が同じ方向を向いてるわけではないし、皆が必ずしも同じ方向を向かねばならないと言う事は民主国家である以上、当然のことと思います。

もし、全員参加で義捐金を送りたいのであればPTA会費の中に組み込むなどもっと有効な手立てがあったと思います。
そうした事もせず、安易に教師が生徒とつるし上げるような事をするのはどうなんでしょうか?
同じ東北だから張り切りすぎたと言うのもあるかもしれませんが、それもまた筋違いの考え方ではないかと思えてなりません。

そこまでして、誰かをつるし上げてまで行う義捐金って尊いものには思えないのですが。
とても気分の悪いニュースですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000424-yom-soci
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# by e-mars | 2011-05-20 14:36 | 評論
本当にそうか?
世の中、とっても明かりが暗い。駅や電車内など辛気臭い位。
しょうがないとは判っていても、先日、午後、小雨模様の中乗った電車の社内は消灯中。それがものすごく暗く、ちょっと目の悪い自分には本はおろか鞄の中も見難い状態。

今の福島原発の状態から言えば、節電はしょうがないとは言え、こういうときはもっと臨機応変な対応をして欲しいと思うのは自分だけではないと思います。

よくテレビで何人かの識者といわれる方はヨーロッパの地下鉄や街はもっと暗いと。日本が明るすぎたのだから、これでよいのだと。
そしてテレビではそれを肯定するような意見しか流れない…。

でも。それって変だなぁと思うんです。
例えばパリのメトロに乗ったことがある方ならわかると思うけれど、ヨーロッパの地下鉄の施設って必ずしも蛍光灯の明かりじゃないんですよね。
いわゆる白熱球。最近では電球色の蛍光灯を使う場合もあるでしょうが、基本、白熱灯系の明かりが多い。
と同時に、そうした明かりを最大限心地よく感じられるように計算されて照明がデザインされていると言う側面もあります。
また白人の眼球は強い照度に弱いという特性もあります。
そうした諸々を勘案しての暗さ。そして暗さの中に心地よさを考えた暗さ。
ほら、ホテルのラウンジとかバーを思い出してみてください。照度を落としてあることで落ち着きやくつろぎ感を出してますよね。
ビジネスホテルは別として、日本でもちゃんとしたホテルであれば蛍光灯がギラギラのフロントって見かけないと思います。

でもアジアは日本も含め蛍光灯系の明かりが多い。電飾なんかも含めて。
むしろ明るさの中に安堵感やうきうき感を感じるのだと思います。

文化的土壌が違うのに、ヨーロッパでは…なんていうのを聞くと、単にその識者の方って自分の知識や海外経験を話したいの?と思えてしまう。

なら薄暗い中でくつろげる光りの演出とかそういう話題につなげるかと言えばそれもなし。
日本には優秀な照明デザイナーと言うか照明アーティストの方もいるのだし、むしろ薄暗さを楽しむための演出とかそういう話をすべきな気がしてしまいます。

蛍光灯の明かりって、明るさが取り柄。そこから明るさをとったら侘しさやさびしさが残る気がします。
勿論、明るすぎでも空々しさはありますが。
でも暗さを前提とした西洋の明かり文化とは明らかに違う文化があります。

これからも節電を続けるためには海外でどうこうではなく、薄暗さを暗さを楽しむ演出とかそういう方向へ話題を繋げる方がずっとずっと節電を楽しめると思うのですが。
# by e-mars | 2011-05-07 01:08 | 日常の出来事
気がつけば…。
前回の更新から随分と時間がたってしまいました。

その間、沢山お話したい事があったのだけれど、日々の慌しさに更新しないままでいるうち、あの大震災。

このブログをごらん頂いてる皆さんは震災の影響がいかばかりか。どう言葉をつづって良いのか迷うばかりでまた日を重ねてしまいました。

通り一遍等のお悔やみを申し上げるのはとても簡単な事。
それでも被災された方の心が和むのなら、もし耳障りの良い言葉でも救われるのなら心からいくらでもお悔やみやお見舞いを申し上げるのですが、果たしてそれで本当に少しでもお力になれるのかと、自問自答をしてしまいます。

それでも何かお役に立てることがあれば、その時が来れば出来る限りの事はしたいと思っております。

ブログの更新がなかったのでご心配のメールも頂きましたが、お蔭様で親族・知人とも皆、無事にしております。
また僕が個人鑑定や鑑定書をおつくりしている方々もまた、大事に至った方が皆無であった事は、不幸中の幸いでありました。

この震災で予定していた仕事が延期になったりしておりますが、非被災地に住む我々がまずは生活を旧に復し、且つ積極的に日々の生活や経済活動を行う事が、結果、被災地の復興やお手伝いにも繋がるものと思います。

私もこれから新たな活動を目指して進んでまいります。
新ためてご支援のほど、お願い申し上げます。

そして今、困難な中におられる皆様には、少しでも笑顔が訪れる日が早く来る様に祈っております。

                                     鑑定師 麻亜樹


# by e-mars | 2011-05-06 06:15 | 日常の出来事
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